ウリ民族の姓氏-その由来と現在(31)
曺氏の始祖は新羅王の婿
種類と由来(18)
朴春日
曺氏と全氏は、ともに著姓に属し、長い歴史を持つ氏族である。
まず曺氏。本貫数は128で、主な氏族は10余と見られるが、一部では中国・周の文王の12番目の王子を始祖だとしている。しかし、これは李朝時代の事大病が生んだ付会である。 古文献「典故大方」によると、代表的な昌寧曺氏の始祖は曺繼龍(チョ・ケリョン)で、彼は胸に「曺」の字が浮いていたことから曺氏を名乗り、のちに新羅・真平王の婿になったという。 伝承によれば、新羅の文官・李光玉に礼香という美しい娘がいたが、ある日、急に腹痛を訴えたので、驚いた親が医者を呼び、手当てをしたが効き目はなかった。 そこへ旅人が訪れ、「娘を火旺山の池につれていき、天に祈れば治る」というので、そのとおりにすると、いつのまにか娘の姿が消えてしまった。 幾月かの後、突然、火旺山から水が吹き上げ、姿を現した礼香が男の子を生んだ。そして、その子の胸に「曺」の字があったので、それを姓氏にしたという。 火旺山には、新羅に併呑された昌寧伽耶の山城がある。したがって、その王が新羅王朝の入り婿になったのであろう。曺繼龍の後裔には、李朝中期の学者・曺植を初め、高麗・李朝の文官が多い。 そのほか主な本貫と始祖は、綾城・曺思朝、南平・曺臣義、長興・曺精通、安東・曺碩材、清道・曺仲道、寿城・曺允誠、嘉興・曺千齢、昌平・曺純、などである。 つぎに全氏であるが、その由来は古朝鮮時代にさかのぼる。伝承によれば、王蒙(ワン・モン)という王族が罪を犯し、隠遁生活をしていたが、やがて自分に関わる童謡がはやっているのに気づいたという。 あわてた王蒙は、密かに海辺の村へ移ったが、そこでも同じ童謡が歌われたので、己の正体を隠すため「王」の字に「人」の字をのせ、「全」氏を称するようになったという。 また、ある族譜は、この王蒙を古朝鮮に亡命した夏の王族の後孫だとするが、夏の国には王姓の王族はいない。したがって、この場合も先の曺氏と同様、後世の付会と見るべきであろう。 代表的な姓氏の一つ、旌善(チョンソン)全氏の始祖は、新羅時代、典法判書を務めた全宣である。その後孫に、百済・多婁王のとき兵曹判書を務めた全虎翼がいる。 そのほか主な本貫と始祖は、天安・全聶(チョン・ソプ)、竜宮・全邦淑、慶山・全億齢、沃川・全学俊、完山・全元呂、安東・全景忠、羅州・全弘礼である。 総じて全氏には、高麗・李朝時代の文官や武官が多いが、封建体制と外勢の侵略に抗した甲午農民戦争の有名な「緑豆将軍」全★(王偏に奉)準は、全羅北道古阜の人である。 つぎは尹氏と安氏である。(パク・チュンイル、歴史評論家) |